IT革命の哲学2

 前回の続き。

 前回、「人は悪と知りつつ悪を行なうことは無い」を真とすると、対偶として「人は善と知りつつ善を行なわないことは無い」と書いたが、単純に対偶とは言えないとも思う。

 何故なら、悪はわりと身近なものであり単純であるのに対して、善は多様でありその範囲も広いと思うから。
(低温に限界がある一方、高温には限界がないのと同じような感じ)

 具体的には、悪は、最悪死んでしまうとか、破産するとか、人間関係に問題が生じるなど、わりと行き着く先も結末も分かりやすい。
中島らもさんの本にも「アルコール中毒になる理由は様々だが、行き着く先はみな同じ」という記述があった)

 一方、善に関しては、年収300万円もらえれば恩の字という人もいれば、1億もらってようやく満足という人もいる。
 その間の何処が正かを知ることはおそらくできないし、意味もあまりないだろう。

 未来を知ることはできないのだが、ITの知る力によりある種の物事に関しては明らかな間違いを排除し、絶対的な正解を簡単に知ることが出来るようになったし、複雑な物事に関してもITによる知の高速道路化により、ある程度のレベルにまでは比較的簡単に到達することが出来るようになった。

 一方、高速道路を使えば上手くいくことが分かった時点で、その道を行くことをあっさりやめてしまい、別の新たなる道を切り開くことに価値を見出す者達もいる。(高速道路を作る方の人達)

 しかし、この国では、ITは、ユビキタスにしろ、RFIDにしろ、「便利」や「効率」もしくは「カッコ良い」などの面からの議論ばかりであり、とてもとても、こんな世の中を作りたい、もしくは世の中はこうあるべきだといった、哲学を語れる大人がいないのはとても残念なことである。

 Googleの使命は、「世界中の情報を体系化し、アクセス可能で有益なものにすること」であるが、有益とはつまり、突き詰めるとそれが良いのか悪いのか、善か悪かを分かるようにすると言っているのではないだろうか?

※ちなみに、「人は悪と知りつつ悪を行なうことは無い」をソクラテスの言葉と紹介したが、検索するとヒットしないのでやや不安です。