ビル・ゲイツ引退宣言と変化の国アメリカ

ビル・ゲイツ氏が引退宣言をしたが、ビル・ゲイツと考えるのか、ビル・ゲイツと考えるのかで、ニュースの意味が違ってくる。

梅田さんも言っているとおり、変化の国アメリカの、特に進みの速いITの業界で、飛びぬけて頭が良く、実績もあるのに、変化についていけなくなったと感じた時(少なくともリードできなくなった時)の身の処し方として考えると、その決断は極めて妥当なのではないかと思う。

こちらのニュースの「ネット新潮流、次代に託す」にもあるとおり、ビル・ゲイツは、やはりこちら側のパソコンの人であり、以下CNETでの「ビル・ゲイツ、グーグルを語る」の

Googleのスローガンは「世界中の情報を体系化する」こと。Microsoftのスローガンは「世界中の情報を体系化するためのツールをユーザーに提供する」こと

からもWeb2.0的な、情報そのものを扱うビジネスが感覚的に良く分かっていないのではないかと思われる。

そこで、あちら側を良く知るレイ・オジー氏に後継を託すこととなったわけで、ビル・ゲイツ的には、分かっていないなりに、分かっていないことを認識して、最適な人物を割り当てようとする辺りはやはり流石だと思う。
(というか、そうしないと生き残れない)

一方、ビル・ゲイツですら現状のITには対応できないことを悟り、こちら側ではもはややるべきこともないと判断し、早々?に引退発表を行い、別の変化を求めて行こうとしているというのに、この国のエスタブリッシュメント達は、いまだにこちら側でインフラにしがみ付き、ものづくりこそが重要と繰り返し、ITによるサービス事業を虚業と誤認し、ソフトウェア製造こそ本業と、早い、安い、旨いのみを目指している。

便利ということ以外の指標を持てないこの国で、ITの現場においては、国ごと時代とズレてしまっており、さらにズレてしまっていることすら認識できていないという絶望的な状況の今日この頃なのである。